柴門ふみの現在!旦那の不倫や育児・介護放棄とは?

「東京ラブストーリー」等の大ヒット作を生み出した女流漫画家の柴門ふみさんですが、柴門ふみさんの夫も「課長島耕作」シリーズで人気の漫画家・弘兼憲史さんです。しかし、夫である弘兼憲史さんのたび重なる浮気や育児、介護放棄と離婚寸前だということが発覚!真相を確かめてみました!

柴門ふみの略歴

柴門ふみさんは、1957年生に徳島県徳島市出身で生誕し、徳島市立高等学校を経て、お茶の水女子大学文教育学部哲学科入学します。

大学に入学すると同時に漫画研究会に入って幼い時から大好きだった漫画を意欲的に描き始め、多くの作品を同人誌等などで発表します。

そして、後の夫となる弘兼憲史さんのアシスタントとして出会い、2人は1980年に結婚し、1男1女をもうけています。

柴門ふみさんはその後、自身の作品である「東京ラブストーリー」や「あすなろ白書」等、大ヒットを連発し、作品がドラマ化されるなど社会現象ともなり、恋愛の教祖ともカリスマとも言われる女流大作家として有名になりました。

柴門ふみが夫 弘兼憲史との家庭内問題を大暴露!

柴門ふみさんの家庭内問題が暴露したのは、2015年6月に「婦人公論」が彼女に行ったインタビューがきっかけでした。

夫の弘兼憲史さんとの問題は深刻なもので、「俺は親に遊んでもらったことがないから」という理由で子供と遊ぶことを一切せず、育児も放棄したといいます。

さらに仕事を休むのは正月の3日間だけという全く家族をかえりみない信じられないような家庭放棄を続け、子供と喋る事もほとんどなかったといいます。

しかし、弘兼憲史さんは趣味のゴルフには年中出かけ、夜遊びも豪快で、浮気も度々繰り返したといいます。

柴門ふみは何故いままで離婚しなかったのか?

息子が年頃になり、進路問題や弘兼憲史さん自身の両親の介護問題にも全く無関心であるにもかかわらず、「何があっても離婚だけは絶対しない」という弘兼憲史さんの筋の通らない身勝手な主義を主張し、柴門ふみさんは離婚が出来ずにいたといいます。

しかし、子供が独立した現在(息子さんも漫画家デビューされました)、その時を待っていたかのようなタイミングで柴門ふみさんが公に家庭内の山積された問題を暴露したというのが事の経緯です。

かつては恋愛のエキスパート、教祖、そしてカリスマとまで呼ばれていた柴門ふみさんが離婚できなかった理由は全て夫である弘兼憲史さんのパワハラともとれる意味不明な主張です。

だれでも公私共々順調というわけにはいかないとは思いますが、恋愛の神と言われた彼女さえ、結婚で失敗してしまったわけです。

きっと暴露にあたっては相当慎重に熟考されたにちがいありません。

弘兼憲史が離婚を拒んだ理由とは?

一方、なぜ夫の弘兼憲史さんは離婚を頑なに拒んだのだろうと考えると、もしかしたら彼女の「恋愛のカリスマ」というイメージを守りたかったのではないかという考えも出来ます。

それが本当だとしたら、ただの偏屈な人物では無く、愛情が少しでもあったのでは?と感じられますが、、、。

きっと、財産など、経済的な事情もあったのでしょう。

なにしろ、2人とも夫婦そろって漫画界の大スターなのですから、資産は莫大なものとなるのは目に見えてます。

柴門ふみは溢れるバイタリティーの塊

漫画だけにはとどまらず、1990年に発売されたエッセー「恋愛論」は、70万部もの売り上げるベストセラーになり、恋愛の教科書とも言われた著書を執筆した柴門ふみさん。

「自分に似た人間が存在するなんて気持ち悪い」と、子供をもうけることを拒否する夫 弘兼憲史さんの意思を押し伏せるかたちで妊娠出産をした母親になりたいという強い願望、しかも弘兼憲史さんが全く育児に協力をしてくれない中、人気売れっ子作家として子育てもこなす柴門ふみさんの精神力は並大抵ではなし得ない事ですよね?超人的としか言いようがありません。

まとめ

柴門ふみさんの壮絶な人生は、まるで大げさに演出をされたドラマや小説を見ているようです。

また、柴門ふみさんの精神力の強さには驚かされます。本当に強い人なんだと思います。

長年山積されてきた浮気、育児、介護といった問題を無駄にせず、漫画なりエッセイなりで赤裸々に自身の身に降りかかった長い長い苦難を作品に昇華させて欲しいと願っています。

 

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